あなたの周りにはこういった人はいませんか?
・過干渉な人
・口調がキツく、声をかければなんでも否定から入る人
・当たりが強い人
・「お前は本当にダメだなぁ、俺がいなきゃ…」といった感じで接してくる人
誰でもこういった人を見かけたり接したりことは1度はあると思います。
しかし、見下されサバイバーには常にそういった人がそばにいるのです。
場所を変えても、時間が経っても。
これは見下され過敏な人にとって脅威の1つといってもよいでしょう。
厳しい人といっても、暴力を振るわれたり明らかな暴言を言われるといった大きなダメージが襲いかかるとは限りません。
コミュニケーションするたびに、チクっとくる言葉が飛ぶ。
否定から入るのが基本で、仕事の作業のチェックはまるで粗探しの時間。
そのうち、仕事や勉強以外のプライベートなところまでバカにされる。
これがまた地味で「パワハラ」とは安易に断定しにくいような行為もあります。
しかしそういった態度は、ジワジワと自尊心が削られストレスが少しずつたまっていくのです。
そして、その時かけられた言葉が何日、いや何年にも渡りフラッシュバックしてしまう。
にも関わらず、「やたらと厳しい人」は人を変え現れ、あなたに向かってキツい言葉を投げ続ける。
「なんで自分ばかり…」
そう思わざるを得ないのです。
見下される人と厳しい人は相性がよい?
恋愛では、「ダメな男性を引き寄せてしまう女性」がよくいるそうです。
実際調べてみると、そういった書籍やネット記事もたくさんあります。
見下されサバイバーもそれと同じように、「やたらと厳しい人」を引きつけてしまうのです。
多くの人は、職場で「やたらと厳しい人」に当たった時、
「なんだこの人、すぐ否定に入ってうるさいなぁ。」
「口調がところどころキツい。この職場は離れよう。」
と思うことができます。
しかし、見下されることに悩む方は違います。
厳しい人にキツい文句を言われると、まず最初に
「自分が悪いから」
「言ってることは正しいから」
と、とりあえず自分に多くに責任があると思います。
更に
「こんなダメな自分に厳しく言ってくれるんだ。」
と今の状況を肯定してしまいます。
そして、それはあなたにやたらと厳しい態度を取る人も同じような意見を持っています。
その厳しい人は、あなたの態度から自分と同じ意見を持っていると読み取った時、こう感じます。
「この人、私が思っていることを自覚しているんだ。これからはビシビシいってやろう」
と。
あなたが「これは私が悪い」と思い、
相手が「ああ、それはお前が悪い」と思う。
つまり、お互いの思いが一致することで、凸凹がぴったりフィットするような関係になってしまうのです。
見下されサバイバーは怒られると安心する?
怒られることが好きな人はなかなかいないでしょう。
見下されサバイバーも例外ではありません。
しかし、その一方で怒られると安心するといった感情が生じることがあるのです。
それは、昔から常に色んな人から怒られてきたからです。
親も今そばにいる厳しい人と同じように否定から入る人だったからかもしれません。
また、クラスメイトの中に常にあなたを嫌い、何か行動をすれば揚げ足取りをする人だったからかもしれません。
そういった経験から、あなたは常に周囲の目を気にするようになります。
そしてこう思うのです。
「自分は怒られて当然の人間だ」
と。
人は、感情を持つとその感情に応じた出来事を求めるようになります。
そのため怒られると傷つく反面、どこか安心してしまうのです。
こうして怒られると「ほら、やっぱり自分は怒られるような人間なんだ」という感情を持つようになります。
そして、更に怒られ「ほらやっぱり…」となり、更にお叱りを受け、「ほらやっぱり…」と永遠のループにハマってしまうのです。
「厳しい」を美徳化しすぎない
厳しい人がすぐそばにいる。
まず、あなたにやっていただきたいのは
「厳しい」を疑う
ことです。
スポーツ選手のインタビューで
「ここまで来れたのは、監督が厳しい指導をしてくださったおかげです」
なんていうことはありますよね。
愛のムチあってこそ成果を得ることができたと。
それは相手に期待するあまり厳しい言葉をかけ、相手もその期待に応えるように厳しい訓練を息抜き、最後は優勝を勝ち取る感動ストーリーのように見えるかもしれません。
確かに、筋肉に負荷をかけて鍛えるように、成長するには時には厳しい経験は必要でしょう。
真面目なあなたであれば、そんな「厳しさ」の大事な部分は十分な程に理解されていると思います。
また社会に出る前から、周りから「社会は厳しいよ」という言葉をうるさいほど投げかけられたことで、キツい言い方をされるとこんなふうに思われているかもしれません。
厳しい言葉だけど、それが社会なんだから。
それが仕事というものなのだから。
と。
しかし、あなたに厳しくするその人は、本当にあなたを思って厳しくしているのでしょうか?
本当にあなたの腕に期待して厳しくしているのでしょうか?
その人がもし「あなたのためを思って」「期待しているから」と言っていたとしても、本当にあなたのためを思って、期待しているという証拠はどこにあるのでしょうか?
ただ自分のイライラを抑えきれず、あなたにぶつけているだけという可能性は本当に0%なのでしょうか?
あなたは人格否定やキツい言葉が苦手です。
もちろん多くの人はそうですが、あなたはその何倍も何倍も苦手です。
毎日その言葉が表情がフラッシュバックし辛い思いをしています。
もうこれ以上は辞めて欲しいという思いとは裏腹に、その厳しい言葉は毎日更新され、さらに苦しい気持ちになっています。
あなたは「辛い」のです。
そんな厳しさは本当に美しいものでしょうか?
相手がどう思って接しているかはあくまで推測するより他ありませんが、あなたが今そう感じているのは「事実」です。
見下されることに悩む人は、場所や人が変わっても、厳しい言葉を周囲に投げかけられました。
そんな理不尽を受け入れるために「(理不尽)な厳しさ」を美徳化してしまうのです。
この人は私のことを思って言っているんだ。
この人は私のことを気にかけてくれているんだ。
と。
しかしまず、そんなキラキラなイメージを捨てることをオススメします。
後々で「あの人ただ私にイライラをぶつけていたのか…」ということに気づいても辛いだけです。
そんな自分の気持ちにいち早く気付くことで、果たして自分に厳しい人は必要なのかが見えてくるのではないでしょうか。