恥ずかしい記憶というには誰にもひとつやふたつはあるものです。
思い出しただけで顔が真っ赤になり、穴に入りたくなるような記憶。
ついつい叫びたくなってしまう記憶。
これらを最終的に笑って済ませられる程度のものであればよいでしょう。
しかし見下される経験が多いと、そういった恥ずかしい記憶が多いということはないでしょうか?
もしくは、数が少なくても思い出すだけでグサっとくるような記憶。
叫びたくなるどころか、当時の自分を殴ってしまいたくなるような記憶。
笑って済ませられず、辛く苦しい気持ちになってしまう。
それはまさに「見下され過敏」の一つといってもよいでしょう。
そのレベルになったら「恥ずかしい」というよりもはや「苦しい」状態なのです。
見下される人の恥ずかしい記憶が多い理由
見下される経験が多いと恥ずかしい思い出が多くなってしまうものです。
その原因の中には
「どうしても恥ずかしい振る舞いをしてしまう」
というものがあります。
もう少し具体的にいうと世間的に見て「ズレた」行動をついついしてしまうといったものです。
例えば、自己顕示欲に負けてしまい少し痛いことを言ってしまった。
興奮の感情を抑えきれず、恥ずかしい行動をとってしまった…といったものです。
そしてそれを相手に見られたら頭の中で恥ずかしい記憶としてカウントされる。
そういった出来事も、恥ずかしい記憶が多くなる原因の1つです。
しかし、それらが「恥ずかしい記憶」として本格化する理由はもう1つあります。
それは、
その行動や振る舞いを「何度」も「しつこく」バカにされてきた
からです。
例えば、喋り方をちょっと間違えただけで家族からバカにしたように真似をされた。
それも1回2回であればまだしも、ことあるたびに何度もバカにしてくる。
「しつこいからやめて」とお願いしても辞めてくれない。
それどころか、
「冗談なのに何をムキになっているんだ」
と逆に怒られてしまう。
そしてその行為は普段の振る舞いや趣味などにわたり、普通の人であれば大したことのない行動までバカにされてしまった。
そしてそんな扱いを受け続けるとさりげない行動も「恥ずかしい記憶」として刻み込まれ、自分の普段の振る舞いに自信がなくなっていってしまうのです。
よくある恥ずかしい記憶を思い出した時の対処法
こういう時の対処法でよく聞くのが
「そんなの、誰も覚えていないんだから恥ずかしがっても無駄だよ」
というアドバイスです。
また、似たものとして
「他人は自分が思っているほどあなたに興味を持っていないよ(だから忘れているだろう)」
というアドバイスもあります。
確かに、誰も覚えていないような思い出もあるでしょう。
その考え方で気持ちを楽にすることは大切ですよね。
でも、見下す・見下されるという関係だと、当然「見下された思い出」というのは多いですよね。
覚えてなくてもバッタリ会ってしまったら、そのついでに思い出されるかもしれません。
筆者である私自身、私を見下す人から数年前の恥ずかしい記憶を掘り起こされたことがあります。
そのため、どうしてもこういうアドバイスは見下されサバイバーの方には適用しにくいのです。
見下される人が恥ずかしい記憶を思い出した時の対処法
恥ずかしい記憶は、まずは小さい記憶から対処していくと良いでしょう。
では、どうすればよいのでしょうか?
それは、
本当に恥ずかしがる必要があるのか冷静に精査する
ことです。
恥ずかしい記憶を思い出しそうになった時に、おもむろに恥ずかしがるのではなく
「さすがに⚪︎⚪︎(見下してきた人)が、今でもこの記憶をバカにしてきたとしたら、いくら何でもしつこすぎるな」
「これはさすがに覚えてたらそっちの方が怖いな」
と冷静に精査をしてみることです。
そして、もしそのような記憶であれば最後に
「本当にこんなに過剰に恥ずかしがる必要はあるのか?」
「なぜ見下してきた人たちのためにこんなに恥ずかしがらなければならないのか?」
と自分に問いてみることです。
そして次からむやみやたらと恥ずかしがらない努力をしてみる。
そうすることで恥ずかしい記憶を「整理」していくのです。
むやみに恥ずかしがるということは、その場にはいない「あなたを見下した人」に迎合してしまうということ。
そんな恥ずかしいと感じる記憶を少しでも減らし、苦しくない時間を増やしていきましょう。
そして、今まで辛かった分「小さな自信」を育てていくのです。