見下される原因の中には
「謙虚すぎてなめられる」
ということがあります。
確かに謙虚さは大事ですよね。
しかし、見下され続け自己否定が板についてしまった人たちはどうしても
「○︎○さんはとてもすごい人です。それに比べ私なんか…」
と相手を必要以上にあげ、自分を下げてしまったり、素直に受け取った方がよい場面でも強く
「いやいや、そんなことないです」
と謙遜しすぎてしまうのです。
確かに傲慢な人は好かれないでしょう。
しかし謙虚すぎると、
「自分自身でもそう思っているんだしバカにしてもいいだろう」と
思われてしまいます。
ということで、今回は
もっと自分をガンガンアピールして積極的に人と絡んでいきましょう。
というお話を…
…したいのではありません。
むしろ「見下され過敏」な方は、たくさん注目されることで辛い思いをしてしまうことがあります。
そのため、必要なのは程よい謙虚さです。
といってもよくある
「日本社会は謙虚すぎる。もっとアピールしていかないと…」
という批判をしたい訳ではありません。
また、
「自己主張をして会社や上司に気に入られ、キャリアアップを目指しましょう!」
という暑苦しい話をしたいのではありません。
程よい謙虚さを身につけることは「見下されない」ことにつながります。
いわば「見下され対策」になるのです。
では、程よい謙虚さを身につけるにはどうしたらよいのでしょうか?
謙虚は良いことという考えを捨てる
もし、あなたが「謙虚は良いこと」という認識を持っていたらその考えを改めていただきたいのです。
あなたは、なぜ「謙虚は良いこと」と思ったのでしょうか?
それは親や先生に
「謙虚でいなさい」
「謙虚でいることはよいことだ。」
と口酸っぱく教えられたからかもしれません。
また、家族の中に鼻息を荒くして
「だから俺はあの時こうしろっていったんだよ〜!!」
「俺は○︎○が正しいと思う。いや、正しいに決まっている。」
と何度も強く自分の意見や正当性をアピールする人や
「私は口喧嘩は強いからね!」
「だって私が頭いいもん」
といったように、明らかに相手をバカにするように自分の強みをことあるごとにアピールしていた人がいたことで
「こうはなりたくないな…」
という思いが自然と身についてしまったからかもしれません。
確かに、そのような人がいたらそう思うのも無理はありません。
このように常に自分をアピールしたりすれば、周りは不快な気持ちになってしまいます。
しかし、それはところ構わず謙虚になれば良いという訳ではないのです。
それは、常に謙自己評価を低くして振る舞っていれば
「自分の大安売り」
につながってしまうからです。
最終的には見下され、舐められてしまうでしょう。
また、とにかく謙虚でい続け過ぎるとかえって
「謙虚であることを“傲慢”にアピールしている」
ということになってしまうのです。
それじゃ、謙虚さを身につけるきっかけとなった自己主張が激しい人たちと同じ行動をとってしまうということ。
一見逆のようなことをしているように見えて、同じような状態になってしまいます。
そのため、まずは謙虚であることは良いことだという概念を捨てる必要があるのです。
謙虚は相手の期待に応えているとは限らない
もちろん、この社会では社交辞令で褒めてきた人に対し
「いやいや、私はそんな…」
と返す必要のある場面はたくさんありますよね。
そのようなコミュニケーションを取ることも大事な処世術です。
しかし、それが全てではないでしょう。
その褒め言葉を素直に受け取って欲しいと本気で思っている人もいるのではないでしょうか。
それを
「いやいや…私はそんな…」
と強く否定してしまえば。
相手も良い気持ちにはならないでしょう。
私は本気で良いところだと思って褒めたのに、なぜそんなに否定するのだろうと。
そしてその人からの印象が悪くなってしまうのです。
もちろん、その褒め言葉に対してどうしても受け取り得ない理由があれば話は別だと思います。
しかしそうでないのであれば、素直に「ありがとうございます」と言った方が相手も嬉しいですし、穏便にコミュニケーションが済みますよね。
このように、謙虚さは相手の思いを否定してしまうこともあるのです。
そんな理由からも
「謙虚はよいこと」
とは限らないのです。
程よく謙虚さは捨てよう
最初にお話しした通り、この記事を通して
「謙虚さを捨ててガツガツと自己アピールしましょう!」
ということを伝えたかったわけではありません。
これは見下されることに悩む人が、社会をうまく切り抜けるための方法。
穏便に対人関係を乗り切るための処世術なのです。
それには、謙虚さを程よく捨て、素直に受け取ることが必要ということです。
謙虚になりすぎるのを辞めた時、むやみやたらと見下されることは少なくなるのではないでしょうか。