軽く見られてしまう
「見下される」という悩みの中には
「軽く見られてしまう」というものがあります。
年下からもバカにされてしまう。
ひどいと、ペットにまで舐められてしまう。
それを話しても
「怖がられるよりマシじゃん!」
「それがあんただから仕方ないじゃん(笑)」
と「軽い悩み」として簡単に済まされてしまう。
別に過剰に尊敬されたいわけじゃない。
ただ周りと同じ扱いを受けたいだけなのに…。
周りを話しても理解されず、1人で悩みを抱えるほかないのです。
「聖母系キャラ」をやめる
人から軽く見られている。
そう感じるのであれば、まず自分がどこかで
「聖母系キャラ」
を目指していないかチェックしてみましょう。
「聖母」というとイエスの母親マリアを指しますが、この場合、そのように慈悲深い女性像のような人を指します。
この場合、性別は問いません。
「聖母系キャラ」の行動をあげると
・何を言われても笑顔。
・多少理不尽なことをされても許す。
・全然怒らない。
・自分の気持ちより他人の気持ちを優先する
・相手の事情を理解しようとしすぎてしまう
このような人は一見「良い人」とされています。
実際、そのようなキャラにあっているため周りから尊敬されている人はいます。
しかし「見下されサバイバー」の方が安易にやってしまうと、相手は
「こいつなら多少理不尽なことをしても怒らないや」
と思いその態度に甘え、つい理不尽なことをしてしまうのです。
そして、その理不尽なことも言い返さないと、その行動はどんどんエスカレートしていき、最終的にはハラスメントのような関係性となってしまうのです。
この行動は、ハラスメント体質の方だけがやっているわけではありません。
普段は
「相手をバカにしてはダメだ」
という倫理観は持ちつつも、あまりにも怒らなかったり言い返さないためにムクムクとその人の悪意が誘発され、ついいじってしまうのです。
聖母キャラになった理由
世間では、「聖母系キャラ」を含め言い返さない人を
「弱い人」「言い返せない人」
と簡単にカテゴライズしてしまいます。
それはこの人は何も考えずに常にニコニコ・ヘラヘラしているのだと思っているからです。
しかし、実際はそうではない。
そんな簡単な話じゃなく、あなたでさえスルーしている可能性のある事情が存在しているのです。
それは、家族があまりにも愚痴を吐き、他人を馬鹿にするような人であったり、自分自身も馬鹿にされてきたため
「自分はこうはならない」
「自分は人を許せる人間になろう」
「自分は愚痴を言わない人間になろう」
と心の底から思ったからかもしれません。
自分には異常に厳しい親が同じ口で
「他人に優しい人になりなさい」
「何でも許せる大きな器を持ちなさい」
と言われてきたからかもしれません。
あなたが怒ったことに対してあなたの事情は何も介さず、共感もされず
「相手にもこういう事情があったの。だから今回は我慢して」
と言われてきたからかもしれません。
このように、生まれついてから人間の悪意に嫌と言うほど触れてきたり、自己犠牲を説かれ続けてきたことから、あなたには
「聖母キャラ」になろうという確固たる動機
が無意識のうちにあるのかもしれません。
しかし、この世界では「聖母」のように自己犠牲的にはなれません。
一回はなれたとしても、ずっとは続きません。
続く前に、あなたの精神が潰れてしまうからです。
誰よりも自分が一番可愛いという性質を持った生き物。
それが人間だからです。
精神科医であるTomyさんも、同じことをおっしゃられています。
もちろん、人助けはいいことです。しかし、心の奥に自分がそうしたいという気持ちがなければやるべきではないし、やってはいけないことです。
引用元:【精神科医が教える】相手のことばかり優先してしまう「自己犠牲」の末路
自分の気持ちを捨ててまで誰かを助けるというのは、身も心も持ちませんし、続けられないからです。
あなたの人生は「重い」
もし他人から軽く見られてしまうのであれば
「自分の人生の重さ」
を自覚してみましょう。
あなたは、周りから軽く見られてしまっているのかもしれません。
しかしそうであるのなら、周りの人はあなたのことを大きく見誤っていると言えます。
なぜなら、
あなたは既に充分「重い」経験をしているからです。
他人から軽く扱われた。
周りから「こいつなら怒らない」と好き勝手やられてきた。
時には簡単に「言い返せ」という人もいた。
理由がなんであれ、あなたは理不尽なことを言ってくる人を許そうとしてきた。
普通の人はそんなこと考えません。
感情を自然に表現し、怒ることが出来ます。
そして簡単に他人に愚痴を吐くことができます。
もう会わない相手なら、それでスッキリおしまいです。
しかしあなたはそれが許されてこなかった。
それなりの、自分だけにしか分からない事情があり出来なかった。
それゆえにずっと怒りや辛さを溜めざるを得なかった。
かといって相手を責めきれず自分のせいだと責め続けた。
そんなあなたのどこが「軽い」のでしょうか。
また、あなたまで自分自身のことを「軽く」見てしまったら、誰があなたの「重い経験」を認めてくれるのでしょうか?
他人に軽く見られたくない。
そんな自分になりたいのであれば、まずは自分の経験の重さを日々見つめ直してみましょう。
「自分」から軽く見られないだけでも、人生の苦しさは減っていくことでしょう。