人より怒られる日々
人間生きていれば誰だってミスをするものです。
時には怒られてしまうことってありますよね。
基本的に怒られるのは誰だって怖い。
だから出来るだけミスをしないように気をつける。
でも、なぜか自分は人より怒られやすい。
例えば、ある日職場で
「そういえば昨日あいさつしてなかったよね?」
と、他の人なら一度や二度はスルーされるであろうことを自分だけ注意される。
あなたもわざとやっているわけではなく、他の仕事に気が回っていてあいさつする暇がなかったとか致し方のない事情があったわけです。
それをいくら説明しても
「でもやらないあなたが悪い」
「こうすればよかったはずだ」
「だけどさぁ…」
「そもそもお前は…」
と相手は一切、自分の早とちりな判断を認めない。
そしてあなたに全て非があったことにされてしまう…。
このような悩みを打ち明けてみるも
「それはミスをしたあなたが悪い」
「だってあんた実際要領が悪いじゃん」
と、散々自覚していることを言われる。
また、
「怒られるのは期待されている証拠!」
「年を取ったら怒ってくれる人なんていないよ!」
「怒られるうちが華なんだ。」
というアドバイスをされることもあります。
でもどう考えても期待されているようには見えない。
あまりにも怒られることが多いため、どんどん自信を無くしてしまうのです。
「怒り」の中にも不純物はある
見下されサバイバーの人は、真面目な方が多いです。
「怒られる」ということに対し、何でもかんでも真面目に受けすぎてしまう傾向があります。
例えば、仕事におけるほんの小さなミスで過剰に強く怒られると
「社会はそれほど厳しいんだ…」
「自分が全部悪いんだ…」
と強く考え、自分を過剰に責めてしまう。
確かに仕事である以上、上のような意味で怒られることはあります。
また、怒られても仕方のないことはあるでしょう。
しかし「怒り」という感情は
必ずしも純粋なものとは限らない
のです。
それは、怒りという感情の中に
・(その人にとっての)生理的嫌悪
・加虐心
などが入っている可能性が高いからです。
例えば、普段から気弱な性格でイライラされていた人がいるとします。
話す時もオドオドしていて、腹が立つし苦手…。
そしてその気弱な人がミスをした途端。
今までの鬱憤を晴らすように過剰に強く怒ってしまうのです。
また、気弱である性格を見ていると
「この人なら多少理不尽なことをいっても言い返さないだろう」
↓
「イライラをぶつけても、周りは私を責めないだろう」
↓
「というか相手はミスをしたのだから、とにかく怒ってもいいだろう」
という流れで過剰に怒ることを正当化し、過剰な加虐心にあっさり負けてしまうのです。
そんな責めている瞬間は、刑事ドラマで極悪な犯罪者を断罪する主人公になりきるような気持ちのいい時間なのです。
よって、必ずしも相手はあなたのためを思って怒っているとは限らないのです。
この話はミスをしても決して反省しなくてもいいという訳ではないということは、あなたなら分かっていただけると思います。
そもそも「怒り」以外の感情も実際「純粋」なものとは限らないですよね。
例えば憧れの職業に就いた時や愛する人を手に入れた時に、喜びと共に湧く「優越感」。
その喜びが清白で純粋なものであると言うならば、まずその感情は湧かないでしょう。
数多い感情の中で「怒り」だけ全て純粋なものというのはあり得ないですよね。
このように「怒られる」という行為は純粋なものとは限らないのです。
「怒られやすい」自分を責めすぎない
先ほども言いましたが、怒られても仕方がないことはあります。
その時、何にも反省せずに全て他人のせいにする人もこの世界にはいます。
そのような人なら、いつかは強く責められざるを得ない時はあるでしょう。
しかし、この記事をお読みになっているあなたはきっと違う。
常日頃から過剰に自分を責めてしまうほど反省している…。
だから、そんなあなたを信じてお伝えいたします。
もうミスをした自分を強く責めるのはやめましょう。
あなたが怒られやすいのは、そのような性質がどうしてもあるのかもしれません。
そして、怒られる時にそのミスを咎める感情以外の「不純物」が入ってしまっているから。
だから100%真正面から受ける必要はもうありません。
その「不純物」まであなたが無理に抱えることは一切ありません。
次からミスをしないように注意する意識を持つだけで良い。
それでも過剰に責められてしまうのなら。
周りの人間関係や場所を変えていくことが必要かもしれません。