見下されサバイバーを苦しめるもの。
それは、
「見下しをなかったことにされる」
ことです。
日々、バカにされる。
揶揄われる。
普通の人には一切言われないキツい言葉を言われたり、キツいことをさせられる。
そういった「見下され」がいつの間にかなかったことにされてしまうのです。
また、謝られてもその場限りの軽い謝罪か、されたことと釣り合わない態度で済まされてしまうのです。
それだけでも辛いのですが、更に首を傾げざるを得ない状況が起きます。
それは、
なぜか自分のちょっとしたミスや発言だけはしっかりと責められ、謝らされる。
ことです。
さらに、中には「しっかり」を超えた過剰すぎる制裁が待っていることもあります。
確かにそのミスや発言はそれなりに謝罪しなければいけないものだったかもしれない。
だからその謝ること自体は妥当なのだろう。
本当に申し訳ないと思った。
そこはしっかりと謝った。
でも…。
なぜか相手は私をバカにしたり傷つけたことの謝罪はない。
それどころか、そんなこととうの昔に忘れられて普通に話しかけられる。
あまりにもアンフェアじゃないのか?
そう思わざるを得ないのです。
意思を表現出来るひとばかりではない
なぜなかったことにされてしまうのだろう…。
そういう話でよく原因としてあげられるのは、「やめて欲しい」という意思を相手に伝えないからというものです。
自分の意思を伝えないため、相手は「嫌じゃないってことだな」とか、「こいつなら何してもいいんだな」と無意識に思ってしまい、接し方がパターン化されてしまうのです。
世間では、自分の意思・感情をはっきり伝えることを重視されています。
確かに他人の心なんて分かりませんから、大事なことです。
しかし…
それは、世間の多くの人が自分の感情を「うまく・正しく」表現出来るという前提があるから簡単に言えてしまうのです。
多くの人は感情の表現を呼吸をするように、手を出して足を出して歩くように、簡単に出来ます。
でも、そんな人たちばかりではありません。
・やめて欲しいと思っても、上手く言えない
・生まれつき感情を表現することが苦手(うまく怒れない)。
・勇気を出して感情を言葉にしても、うまく伝わらない。
・また、そんな様子にイライラされたり嘲笑されたりしてしまう。
・感情を表現すること自体否定されてできない。
そう言った人たちだっています。
もしかしたら、あなたもそうかも知れません。
そういった人たちからしたら、
「言いたいことがあれば言いなさい」
というのは、出来ないことを出来るようになれと言われているに過ぎないのです。
なかったことにしなくてもよい
もし、あなたが「見下しをなかったことにされる」苦しみを経験しているのであれば。
シンプルなことをお伝えします。
なかったことにする必要はない
ということです。
見下しという地味な嫌がらせは周りに相談しても、
「それだけのことで辛いの?忘れなよ」
というアドバイスをされることがあります。
もちろん、忘れられるのであればそうした方がよいでしょう。
最近は「許せないことは許さなくてもよい」という論調が主流になりつつあります。
それは良いことなのですが、それは「許しちゃいけない」ということではありません。
だから、それを許せて『忘れられる』のであればそうした方がよいでしょう。
でも、あなたにとっては忘れられないほど嫌なことなんですよね。
たくさんたくさん見下されたこと。
そして、それをいつの間にかなかったことにされたこと。
あなたにとって腹の立つことであれば、なかったことにする必要はありません。
自分までその「見下し」を忘れて「なかったこと」にしたら、誰もあなたの苦しみを認知できません。
そして、もしその見下しの苦しみを共感してくれる人がそばにいたとしても、蓋をしたままでは出来るものもできません。
もちろん心身が辛くなるだけなので、無理して思い出す必要はありません。
でも、もしあなたがその見下された経験を忘れられないのであれば。
どれだけ世間から見てくだらないことだったとしても、それを抱えていてもよいのです。
自分の苦しみを理解することは、自分を尊重するということにつながるのですから。