見下される人には、なぜかどこへ行っても厳しい人がそばにいることが多いです。
それなりに頑張っているのにもかかわらず。
「だって努力していないじゃん」
「あなた本当に頑張っているの?」
と一刀両断。
といっても、周りも常にストイックに頑張っている様子でもない…。
このように、見下される素質を持つ人は「頑張っていない」とよく言われるパターンがあります。
小さい頃からそんな経験をしてきた人もいるのではないでしょうか。
例えば、周囲が皆「やる気のある奴はダサい」と思っていた学生時代。
合唱コンクールや体育祭、文化祭でやる気がない皆に合わせ、自分も溶け込むようにしていると…。
なぜか自分だけ名指しでクラスメイトから
「○○は何もしていない。頑張っていない。」
「お前もっと協力しろよ」
と言われる。
周りも私と同じように頑張っていないのに…。
あなたも似たような経験はございますでしょうか?
そのようなトラウマから、大人になってもあの時の指摘に怯えてしまう。
しかし、積極的に行動しようとしても、それはそれで笑われるんじゃないかと怖い。
そんな板挟みに苦しみ、未だに行動に自信が持てない人が多いのです。
見下される人はなぜか目立つ
見下される素質のある人はなぜか目立ちます。
それは、無意識に目立ってしまう行動をついしているからというのが理由となっていることがあります。
例えば、普段から落ち着きがなくせなかったり、ところどころで急に積極的になってしまったり。
つい目立ってしまうので、たくさんの人にその行動や振る舞いが映ります。
その中には常に誰かを見下すクセがついてしまった、支配欲の強い人もいます。
そのような人が、一度あなたをロックオンしてしまうと。
次にあなたの行動や言動の粗を次々と探し始めます。
そんなあなたに近づきバカにすることで、「見下す」「見下される」支配関係が生まれてしまうのです。
見下される人は「ハンデ」を抱えて頑張っている
ここで話を戻しましょう。
あなたは本当に頑張っていないのでしょうか?
大前提として、見下される人はハンデを抱えています。
それは、生まれつきもった不器用さや皆から見下されやすい容姿や体格。
ここで重要なのは、言語化が難しく相手に説明がしにくい類のハンデもあるということです。
先程も挙げた「つい目立ってしまう」というのもその1つです。
世間はこの辺りの部分をあまり重要視していません。
ましてや、あなたのことを簡単に一刀両断してしまう人がそのことを理解しているとは考え辛い。
そんなあなたの背景を何も知らずただ「頑張っていない」「努力不足」で片付けてしまう。
それは、それこそその人自身の「理解する努力」が足りないと言わざるを得ません。
隠れたハンデを持ちながらも懸命に頑張ろうと努力している。
その時点で、充分頑張っているのではないでしょうか。
指摘の“全て”を真に受けなくていい
とはいえ、自分だけ「頑張っていない」と言われてしまうと
「自分はまだ頑張っていないのか?」
「その人の言っていることは正しいのかもしれない」
と疑問を持ち、自信を失うのかもしれません。
そこで考えて欲しいのが
その指摘は、あなたのためを思っての指摘なのか?
という点です。
その人はあなたを1人の人間として尊重してくれているのでしょうか?
ただ単に「出来ない人には厳しくしてもいい」いう大義名分のもと、あなたを攻撃してしまっている可能性だってありますよね。
そういうタイプの方は日に日にあなたに対する低評価がヒートアップします。
最初は仕事やミスの指摘だけだったのに、途中から何かにことつけてあなたを否定するようになっていく。
例を挙げると、仕事と関係のないプライベートな話題がでた時に
「あなたにはどうせ無理だ」
と言われてしまう。
そして最終的には倫理観のストッパーが外れ、もはやただ人格否定するだけの状況になってしまうのです。
もし、あなたがそのような人に悩んでいるのであれば。
全てを真に受ける必要はありません。
あなたは、どうしても見下されるハンデを抱えて生きています。
そんな大きいハンデを考慮せずに、「頑張っていない」と言われたからと、死ぬ気になって努力する必要はありません。
もちろん、頑張ることであなた自身が欲するものが手に入るのであれば、死ぬ気で頑張っても良いと思います。
しかし、あなたのことを理解する努力をしているかも分からない人の理解を得るために頑張る必要などないのです。
むろん、その厳しい言葉の中には参考になる指摘はあるかもしれません。
しかし、それは言葉だけ受け取って改善する努力をしていけばいいだけのこと。
あなたの頑張りは、まずあなたがしっかりと認めてあげるべきです。