周囲に見下され、バカにされ、惨めな思いをする日々。
常に「自分は周りより劣っている」と感じざるを得ない状況。
そんな日常を過ごしていると、ある思いが湧き上がります。
「有名になって周囲から認められたい」
と。
そのため、学生時代に心の中で描いた夢はとにかく有名になれるものだったりする。
タレント、漫画家、アイドル…。
数年後には夢を叶えて何もかも恵まれた最高の自分。
周囲の人から尊敬の眼差しを向けられ、かつて自分を見下してきた人は悔しそうな表情をする。
そんな自分を日々想像する…。
しかし、それで実際何か努力をしているかというと、
「いつかは、いつかは…」
と心の中で反芻するだけで、特に行動には起こしていない。
というか起こせない。
こういう話をすると、よく
「俺はいつか一発当ててプロミュージシャンなるぜ!」
と周りに言いふらすも、特に努力せず日々なんとなく生きている人というのが例え話に出てきますよね。
そういう人は適当に生きている痛い人というイメージがよくされます。
しかし、実際はその例え話のように余裕があるわけではありません。
毎日
「とにかく努力しなきゃ…。」
「何で努力出来ないんだろう…。」
「明日は、来年は…」
と焦りに焦ってしまう。
しかし、何もできないのです。
更に、そんな焦りとともに残酷にも時間は過ぎていきます。
それも数日、数ヶ月という短い単位ではない。
数年、10年、それ以上….。
そんな膨大な時間が過ぎても。
自分はその当時から大きく変わった状態でなくても。
心の底ではまだ強く思ってしまうのです。
「いつか有名になって見返したい」と。
有名になるための努力ができない理由
しかし、あなたもそろそろお気づきではないでしょうか。
「有名になる」
そんな動機だけでは何かを進めるモチベーションは続かないということに。
例えば、有名になるために漫画家になりたいと思っていたとします。
そこに自分が描きたいものは入っていたのでしょうか?
その作品は誰に向けて描いているのでしょうか?
もしかして、その目にはあなたを当時見下した人たちが映っているのではないでしょうか?
あなたが自分よりも下にいて欲しいと思っている人たちを満足させようとしてはいませんか?
ハッキリ言って、それは無理な話です。
これは別にあなたに才能がないからという話ではありません。
見下す人というのは、あなたでなくとも常に他人の悪いところにどうしても目がいってしまいます。
そういう人たちを視野に入れながら行動するということは、一度も失敗が許されないということ。
しかし、目標達成の道なんて常に失敗の繰り返しです。
有名になるという高い目標であれば尚更です。
すなわち、失敗を認めない見下す人を満足させるには。
常に高い得点を叩き出し、常に正解かも分からない世間の感性と合致させた結果を出し、常に成功しなければならないということでしょう。
それは苦行以外の何物でもありません。
努力どころか行動できなくて当然なのです。
それよりかは、有名になって癒したいその「傷」自体に対処する方法を考えた方が何倍も効率的ではないでしょうか。
あなたの目の前にある重要な事実
世の中には、社会的に成功し有名になった人がたくさんいます。
あなたにはそれが出来なかったのかもしれません。
有名になりたいと思って、でもなれなくて、これと言った行動もできずずっと苦しんできた。
それは最初に申し上げたとおり、数日、数ヶ月なんて短い期間ではないのかもしれません。
数年、5年、10年と人生の大切な時期をそんな焦りと共に過ごしてしまった人もいるでしょう。
確かに、失った長い時間は戻りません。
悲しいですが、それが現実です。
しかしそんな経験は、あなたにこう呼びかけているのではないでしょうか。
「もう、有名にならなくてもいい」
「もう、たくさんの人に認められなくてもいい」
「もう、あなたを見下す人のために頑張らなくていんだよ」
と。
言われてみれば、当たり前なのかもしれません。
でも、それはあなたのことを何も知らない人からの言葉の何百倍も説得力のある呼びかけです。
そんな力強い自分の経験からそう呼びかけられたのであれば。
もう潔く諦めた方が楽になるのではないでしょうか。
世間の片隅で生きる幸せを感じる
誰でも情報発信ができるこの時代。
SNSを見るとたくさんの人から賞賛を得ている人はたくさんいますよね。
「おはよう」「おやすみ」と挨拶を呟いただけで何百もの反応がつく。
何か事件が起きるとご意見番のようにビシッと物申してくれる。
そしてそのつぶやきにもたくさんの賞賛と反応がついている…。
日々呟くことは楽しそうで、毎日幸せそう。
羨ましくなるのも無理はありません。
そして、そのような人たちを否定するつもりはございません。
ご本人が納得していればそれも1つの生き方なのだと思います。
でも、その人の幸せ=あなたにとっての幸せなのでしょうか?
これは、有名にならなくてもSNSを長い間眺めるだけで分かります。
その人の名前で検索してみれば次々と出てくる誹謗中傷やファン同士の言い争いの数々。
そして何か1つやらかしてしまえば、あっさりと評価が落ちてしまう。
無数の人間関係にまみれ、息苦しくなるような日々。
更に、一回有名になってしまうと辞めようと思っても賞賛を得る快感を失うことが恐怖でやめづらくなってしまうのです。
これは筆者である私自身もSNSをやって近い経験をしてきたため分かります。
有名になることが悪いとはいいません。
でも、有名になることは良いことだけではないのではないでしょうか。
しかし、それを得ることのできなかったあなたは「世間の片隅で穏やかに生きる」切符をすぐ切ることができるのです。
それは、かつてあなたを見下した人からすれば哀れに思われるような行き先なのかもしれません。
でも、もう有名になんてならなくていいのです。
たくさんの人に認められなくたっていいのです。
最後に、あなたに1つ質問をさせてください。
漫画家やミュージシャンといった、あなたが「有名になりたい」と思って描いた夢にその職業を選んだのは、何故でしょうか?
それは、小さな頃から漫画を描くのが好きだったからでしょうか?
音楽を作るのが好きだったからでしょうか?
歌うことが好きだったからでしょうか?
もしそうであれば。
それを、あなたを見下す人に認めてもらうための道具にする必要なんてないのです。
だって、その「好き」という大切な気持ちが可哀想じゃないですか。
これからは、あなた自身のためにそれを使いましょうよ。
そんな「好き」の力を正しい方向へ活かした時。
あなたの感性を心の底から尊重してくれる人が、目の前に現れるのかもしれないのですから。