社会生活において「気を利かせる」ことが求められることがあります。
例えば、他の人の仕事がスムーズに進められるように手を回す。
あなたもそのようにしようとする。
でも、あれこれ考えてしまって中々できない。
結局
「あんたって気が利かないね」
「ちょっとは周りを見渡せよ」
と言われてしまう。
そして「気を利かせるのは当たり前」と正論のような口ぶりで説教されてしまう…。
確かに全く気が利かない人には、一言伝えざるを得ないことはあります。
でも、あなたは気を利かせようとしている。
むしろ、常に周りの目を気にし、人一倍気の利かせどころを探している。
でもその努力も虚しく、周りから注意されたり否定されたりしてしまうのです。
自然に気を利かせられないのはなぜ?
もし気が利かないと言われるのであれば。
まずは、
気を利かせるほど自分に余裕があるのか
というチェックをしてみてください。
これは普通の人にとって、当たり前なチェックかもしれません。
しかし、見下されたり軽く見られて生きてきた人には、常に余裕がないのが当たり前です。
当たり前が故に「余裕のない」状態が麻痺しています。
「余裕がない」状態に気がついていないまま「気を利かせる方法」を探してしまっています。
そもそも気を利かせるための大前提として、他のことに気が回る「余裕」が必要です。
自分がとても苦しい状況で、他人や周りをうまく見渡していくことは大変難しいと言えるでしょう。
そこにいて息苦しくないか?
常に不安や恐怖の感情が頭を渦巻いていないか?
無駄に厳しい人がそばにいないか?
ぜひチェックしてみて下さい。
気が利かないと思われる原因
気が利かないと言われてしまう理由。
それは、今まで
気を利かせたあなたを尊重されてこなかった
可能性があります。
先述した通り、見下されたり軽く扱われる人は、自分に余裕があることが少ないです。
小さな頃から、
「本当に気が利かないね!」
「言われなくてもやれるようになりなさい!」
と強く否定されてきた
「気が利かない自分」は「ダメ」だと教え込まれてきた。
そして言われた通り気を利かせると。
「気が利くようになったじゃん」
「そう、そういうことなの」
と感謝を全くせず、するとしても上から目線でいわれてしまう。
それでもしできなかったときには当然のように
「全然出来てないだろうが!」
と怒鳴り散らされる。
更には、気を利かせたのにも関わらず
「なんで言ってないのにこういうことをするの!?」
と今まで言っていたことと真逆なことを言い出す。
その時の機嫌で言うことがコロコロ変わる人の元で育ったがため、「気を利かせるべきか否か」を正常に判断できなくなってしまったのです。
そして頭で考え、否定され続けた結果、自然な気の利かせ方ができなくなってしまったのです。
周りはそんなに気を利かせているのか?
あなたはよく「気を利かせろ」といろんな場所で何度も言われてきたかもしれません。
ところで、周りの人はあなたと同じことを同じくらい言われているのでしょうか?
またその人たちはあなたと同じ位、気を利かせようとしているのでしょうか?
もしそうでなければ、根本の原因は
「気が利かない」
ではないのです。
そうなると、根本的な原因はあなたが
「見下される素質」
を持っている所以かもしれません。
それは、あなただけが悪い問題なのでしょうか?
無理をしてまで気を利かせなくてもいい
確かに社会では周りのことを考えて、気を利かせることが必要な場面もあります。
また、気が利かない人に対してそのようなアドバイスをしなければいけないこともあると思います。
でも、正論のような口ぶりで
「気が利かない」
「後輩が先輩に気を利かせるのは当たり前」
などとあなたに嫌味を言う人がいるのであれば。
そんな気が利かない自分を責めないでください。
そして、その人や場を離れる等の対処が必要となってくるかもしれません。
気を利かせることが「当たり前」であれば、
その人を尊重し「ありがとう」と口にするのも「当たり前」ではないでしょうか。
更にあなたは人一倍「気を利かせよう」と努力してきたのです。
気を利かせようと努力したあなたを簡単に批判してしまうその人の方がよっぽど「気が利かない」。
私はそう思います。