なぜ私にだけ敬語じゃないのか
あなたは、他人からタメ口で話されることをどう思いますか?
友達や家族であれば気にならないかもしれません。
先輩だったり、年上の方だったら「まあそういうもんだろうな」と思うかもしれません。
しかしそこまで親しくもない後輩だったらどうでしょう?
「え?」と思うのではないでしょうか。
見下される人あるあるとして、「タメ口で話されやすい」ことがあります。
ここで、その場にいる人全員にタメ口だったらまだ良いかもしれません。
強い立場の人に注意を受けるだけでしょう。
しかし、自分にだけタメ口という場合があります。
最初は、周囲と同じで敬語で話しかけているのにもかかわらず。
ある日いきなり、自分にだけ
「ちゃんとやってよ!」
と力強くタメ口で注意してくる。
もちろん、年上年下関係なくタメ口を言いあえる関係も世の中にはあるでしょう。
でも、これはその場合とは違う。
明らかに
「あ、こいつはタメ口でも怒らないな」
「バカにされて当然だよな」
と自分をバカにしてるという心境が心底見えてしまう。
さすがに
「ナメられている」
と感じざるを得ないのです。
自分は器が小さいのだろうか
タメ口で話してくる人に腹が立つ。
そんな人に対する対処法として、「寛容な心」を身につけようとしてみます。
「まあまあ、たかがタメ口でこんな腹が立つ自分がおかしいのかもしれない」
「別に嫌われているわけでもないしな。」
と自分の心を落ち着かせてみる。
更に世の中には、先輩が年下の人や後輩に自ら
「タメ口でいいよ」
とサラッと言える人もいます。
そして周りも、少し手惑いつつも相手との距離を考えタメ口で話す。
結果的に健全な関係を築いている。
そんな人のようになろう…。
しかし、これを見下されている人が下手に真似をすると、痛々しく見られてしまいます。
そして逆に笑われ、「タメ口でいい」とお前が言ったのだからと、なめた態度で接される結果に…。
そんな頼んでもないのにタメ口で話される人からすれば、「タメ口でいいよ」と言う人はどこからそんな寛容な心が出てくるか気になるものです。
でもそれは、その人にタメ口をきかれたくらいでは崩れない強固な自尊心が存在するからに他なりません。
一方で見下される人は常に壊れやすい自尊心を抱えています。
もっというならば、自尊心が傷つきやしないかと常に警戒しながら周りと接しています。
そのような状態で、明らかになめた態度でタメ口で話されたら傷つくのは当然のことです。
というか、自ら「タメ口でいいよ」と許可を出すのと勝手に相手からタメ口で話されるのはやっぱり違いますよね。
タメ口できかれることで腹が立つのはあなたの心が狭いわけではないのです。
自分を褒め抜く力を磨こう
自分だけタメ口をきかれるくらいなめられているといった悩み。
こういう悩みは、社会の中では「小さな悩み」として扱われることが多いです。
もちろん中には共感し、一緒に怒ってくれる人もいるでしょう。
しかし、なめられて言い返せないというのは他人から見るとどうしても情けなく映ってしまうものです。
結局、そんな思いを躊躇なく言語化し
「お前が情けないのが悪いんだ」
と自己責任だと断じてくる人もいます。
それがどうしても否定できない「世間の目」の1つの事実です。
もし「タメ口をやめてほしい」と抵抗できる状況や度胸があるのにしないのであれば、するべきでしょう。
それが自分の心を守ることにつながるからです。
でも、あなたには自分やごく少数にしか分からない「ナメられてしまう」どうしようもない原因がある。
なので、他の人から情けないと笑われても。
「抵抗しろ」と、やれたらやっている理想論をぶつけられても。
そんなナメられたまま生きている自分を立派だと褒めてあげてください。
褒めると言っても、オーバーにする必要はありません。
少しぽつりと「自分、頑張ってるな」とつぶやくだけでもいい。
そんな、少しでも自分を褒める力を磨いていってください。
これは単なる励ましで言っているわけではありません。
周りが褒めてくれないのに、あなたがあなた自身を褒めなかったら誰があなたを支えてくれるのでしょうか。
このままでは、あなたの自尊心は枯れたままです。
自分にだけタメ口で話されるのは確かに辛いですよね。
理由があって抵抗できないのは更に辛いです。
更に、それを一人で抱え込むのはとても苦しい。
そんな時、見下される人には時として
「自分で自分を褒めぬく力」
が必要となっていくのです。