嫌なことを嫌と言えない

「拒否」という簡単そうで難しい問題

「いじられキャラ」で悩む人は、バカにされたりいじられたことを言い返せないために悩んでいる場合があります。

いじられる悩みは普通、世間では

「嫌なことは嫌とハッキリ言う」

という対処法が言われますよね。

確かにシンプルで、大事な対処法ですよね。

嫌なことを嫌と言えない人は、どうしても一定の人から嫌われてしまいます。

それはこの世界の多くの人が、健全に怒ったり、拒否反応を示すことができるからです。

なので自分が出来て当然な状況で、出来ない人を見るとイライラしてしまうのでしょう。

しかし、「いじられキャラ」に悩む人にとって、そんな簡単な問題ではないのです。

なぜ「嫌」と言えないのか?

常識のある人ならば嫌なことを嫌と言うことで謝罪をし、その後はやめてくれます。

しかし、世の中にはそのリアクションさえも「いじり」のネタにしてくる人がいます。

嫌なことを嫌と言えなくなった理由。

それは、そのような人たちとの関わりを通じて

嫌なことを嫌と言っても無駄

という経験をたくさんしてきたからです。

例えば、散々バカにされたことで限界が来てしまった。

「やめてよ!」

と言っても、相手はそのリアクションをバカにしながら

「やめてよ〜!」

と、あなたのモノマネをしてくる。

それ以上抵抗しようものなら。

「お、怒ったぞ怒ったぞ(笑)」

というように、必死に訴えるあなたを面白がり、バカにしたように煽る。

怒れば、バカにされる。

怒らなくても舐められる。

どちらにいっても、自分の意思が尊重されることは一切ない苦しい状態。

このような板挟みの状態を嫌と言うほど経験してきたため

「嫌」と言っても無駄なんだな

と感じてしまうのです。

「嫌」と言えなくなった結果

「いじられキャラ」で悩む人は、「嫌」と言えない一方「いじり」に限界が来て以下の2パターンの行動をとってしまうことがあります。

1.周囲に認知されるまで暴れる

例えば、あまりにも耐えがたい怒りから暴力に走ったり、物を投げて相手に怪我をさせてしまうなどの行動をおこします。

そこが学校であるとすると、教室にいる人たち全員が見向きをせざるを得ないほど教室は静まり返り、

最後は学級会が開かれいじってきた人を叱って終わりというパターンです。

2.迎合して笑う

先述したように板挟みの状態で溜めた怒りはとんでもないものです。

しかし、1のように注目はされたくない。大事ににもしたくない。

また、大暴れした後に後々いじめられたりもっと悲惨な状況になるかもしれない。

そんな考えから自分で自らの自尊心を殺し、進んで卑下し自虐してしまいます。

これは一見自分で自分を傷つけているように見えますが、一つの自己防衛でもあるのです。

1にしろ2にしろ、「いじられキャラ」の人は、言葉1つで拒否反応を示すことを許されてきませんでした。

子供の頃に1と2のような経験で、その場を丸く収めることに成功すると

「人は言葉では分かってくれないから、暴力で解決するしかない」

「どうせ言っても無駄だから、自分を殺し迎合で回避するしかない」

という学習をしてしまい、次第に自らコミュニケーションを取らなくなっていくのです。

人に信じられない「心の弱さ」

このような悲惨な経験をしてきたのにも関わらず、嫌なことは嫌と言えない人は単に否定されてしまいます。

厄介なのは、このような経験でついた傷というのはどれだけ深くても外側からはその辛さが一切見えないことです。

身体の弱さというのは外側から見えます。

例えば、病気で目に見るくらいやつれていたり、大怪我をしていれば基本的に心配してくれるでしょう。

しかし、心というのは苦しみを訴えてもどうしても「甘え」「考えすぎ」と処理されがちです。

だから周りにいじられ軽蔑されるのは、全部お前自身が情けなくて弱いのが悪いのだと、勘違いされてしまう。

それは一番最初に述べた通り、軽蔑する人自身がそんな経験をしたことがないからです。

しかし実際、その人の人生を最初から追体験してみれば、その人が言い返せなくなる・抵抗できなくなるのは当然の状況だと分かってくるのではないでしょうか。

しかし、他人の人生は1秒たりとも追体験できません。

大事なのは、できる限り相手の事情を考えることではないでしょうか。

もちろん全ての物事を事情込みで考えていくのは難しいことです。

しかし、あなたの事情を考える努力もせず、批判してくる人がいるのであれば。

全てを真に受ける必要はありません。

あなたは、他の人の想像を絶するほどの「嫌なことを嫌と言えない」体験をしてきたのですから。

嫌なことを嫌と言えない