集団が苦手なら
「みんなでいることが苦手…」
あなたは、そう思ったことはないでしょうか?
特に「見下されサバイバー」の方は、集団の中で見下されてきたことで、集団そのものに恐怖感や嫌悪感を抱いている人もいると思います。
集団から離れたい…。
かといって、1人でいるのが楽かというとそうではない。
寂しいし、世間と自分のギャップに強い劣等感を抱いてしまう。
世間を見渡してみればカップルや仲の良い親子を見て羨ましく感じてしまう。
集団に馴染めない苦しみと、羨望してしまう苦しみに翻弄されてしまうのです。
昔よりは「1人でいられる」時代
まず、1人でいることがなぜ苦しいかと言えば、
他人の目が気になるからではないでしょうか。
ただ、この国も以前よりは「1人」でいることが受け入れられるようになりました。
私の大学時代も、施設の1つに1人用のカウンター席が用意されており、昼休みになるたびにお世話になりました。
あれがなければ、ご飯を買って食べる場所がなかったでしょう。
テーブル席に1人で飛び込むのはなかなか勇気が入ります(笑)
作られた理由は分かりませんが、良い時代に生まれたんだなぁと心の底から思います。
しかし、この社会はまだまだ「1人」でいることに偏見があります。
クリスマスは1人で過ごすことが寂しく、惨めだという価値観。
成人した人間なら、過去に恋人の1人や2人いて当然という価値観。
このような価値観は社会のいたるところで共有されています。
そのため、「1人」の肩身が狭い時代は完全になくなったわけではありません。
学校は集団行動の練習場
私たちは、見ず知らずのうちに
「集団でいることは良いことだ」
という価値観を身につけていきます。
それは色んな理由があると思いますが、学校が一因であると考えられます。
それは、学校で
「この社会では集団から外れると痛い目見るぞ!」
という経験をたくさんさせられるからです。
学校は集団の社会で生きるための長い長い練習をさせられているわけです。
私たち日本人は6歳から小学校へ通います。
小学校では「前ならえ」にはじまり、様々な場所で皆と同じ行動をする練習をします。
中学・高校では皆同じ制服を着て、そこまでして守る必要のあるか分からない校則があり、髪型や服装なども厳しくチェックされます。
運動会では直前の夏に炎天下の中、皆が足踏みを揃えて行進させられる等、当日のプログラムの練習をさせられます。
これも、ズレていたりやる気がないと先生から厳しく一喝されてしまいます。
卒業式前までは、何時間もかけて卒業生に向けた歌の練習をします。
こちらも卒業生に何も思い出がない人からすれば、気持ちをこめる等難しい話ですが、とにかく皆と同じように歌わされます。
先生が介入しない部分であっても、クラスでは「○年○組最高!」なんて表向きではいいつつも、影ではクラスメイトの陰口やいじめだって起きているわけです。
この社会では、とにかく集団に沿って生きていかないと後ろ指を刺されてしまいます。
そこで、上手く生きていければよいでしょう。
しかし、全員がそうなる訳ではない。
必ずあぶれる人が出てきてしまうのです。
「1人」でいる方が確実にあっている人もいるのです。
しかし、社会の大部分の人たちは集団生活を無事生き抜いてきたので
「1人じゃダメ!みんなとコミュニケーションをとって生きよう!」
「え!?友達も恋人もいないの!?」
と堂々と言えてしまうのです。
1人で生きる「覚悟」を決める
集団でいても1人でいても辛い思いをしているなら、
「自分にとって集団でいることと、1人でいること」
のどちらが「マシ」かを自問してみると良いです。
そして、時間をかけて答えを見つけていきましょう。
私自身、一人でいることでも沢山の苦労をしてきました。
でも私は集団が人一倍苦手です。
きっと、無理矢理集団の中にいたら、きっと毎日が辛かったでしょう。
「どちらがよいか?」と問われると「まあ1人だな」と答えます。
だから、そこまで後悔はしていません。
この自問自答をすることで、この先の自分の人生に「覚悟」が決まっていきます。
「覚悟」が決まれば他人が羨ましいと思う時はあっても
「まあ自分がした決断だしな」
と後悔が少なくなってくるのです。
自分はどのような人間関係を築くことを「覚悟」していくのか。
そんな視点で自分の人間関係を考えてみてはいかがでしょうか。