真面目な自分を真面目に悩む
よく以下のような悩みを抱えている方がいます。
「色んな人に「あなたは真面目すぎ!」って言われます…」
あなたは、自分のことを「真面目」だと思いますか?「適当」だと思いますか?
「真面目」というと、世間的には以下のようなイメージをされます。
・仕事や作業を完璧にこなそうとする
・どうしてもクヨクヨ悩んでしまう
・間違ったことは間違っていると言う。または言いたくなる。
しかし、周りを見渡すと呆れるほど適当に生きている人がいます。
例えば
・あまり悩むことがない(葛藤が少ない)
・常に楽しそうに過ごしている
そんな適当に生きている人が羨ましく感じる….。
「真面目」である自分の悩みを打ち明けると、
「そんな固い顔してないで、適当に生きなよ!」
と言われる。
そういう人は総じて適当に生きている人なわけです(笑)
適当になんて生きられるわけがないだろ…。
「真面目」をやめようと思っても、結局その方法を「真面目」に考えてしまうのです。
真面目が損と言われている理由
よく「真面目であることは損である」と言われますよね。
ネットで「仕事 適当」と調べると、
「仕事は適当でいい!」
という記事が沢山でてきます。
「真面目は損」という旨の記事が多いのです。
その理由は、そこの社会が基本的に
利用する・利用される
関係で成り立っているからです。
これは、言い換えれば支配する側とされる側といってもいいでしょう。
有名な「働きアリの法則」というものがあります。
集団の中で2割は熱心に働いて6割は普通に働き、2割は怠けるという法則です。
つまり、仕事でチームに10人いれば8人が普通以上に働いており、極端な言い換えをすれば怠けている2人が8人を利用していると言うわけです。
「働きアリの法則」は集団であればどこでも起きうると言われています。
そして、真面目な人はその熱心に働く2割の人間になりやすいのです。
仕事の業務以外でも、「利用する・される」関係は世界中にあります。
いじめっ子のストレス発散のために利用されるいじめられっ子。
支配欲を満たすために兄弟やパートナーに横暴な振る舞いをする家族。
正義を語りながら私利私欲のために戦争を命じる人と、戦場に駆り出される人。
いじわるな商法で、お金を儲ける人と高額なお金を支払ってしまう人。
そして植物や動物の命を毎日利用している私たち人間。
この世界には、「利用する・される」関係があちこちで起きています。
そんな世界で「真面目」に生きることは、利用する側からすれば格好の餌というのが、やはり現実の1つなのではないでしょうか。
大事なのは真面目の使い方
大事なのは、「真面目」をできるだけ他人に利用されない場所で行うことです。
つまり「自分」のために真面目になると決めること。
極論ですが、もし世界中の人が全員、適当であったらこの世界は今ほど平和に成り立っていないでしょう。
日本人のほとんどが持っているスマートフォンは月日が流れるたびに更なる進化をとげています。
昔は治らないとされた病気が、今は薬で簡単に治すことができます。
それは真面目な人たちが遊ぶ時間を削って勤勉をしてきたからこそ、新たな技術が作り上げられているのでしょう。
「真面目」はこの世界になくてはならないものです。
よく「真面目は良いことだ」といいますが、真面目に「良い」「悪い」もありません。
その真面目な振る舞いをする前に、損得があるかを判断していくことが重要なのです。
「まあ、いいか」で生きる
常に真面目に生きていると息苦しいですから、少しは気を抜いて生きていきたいものです。
そんな時は、
「まあ、いっか」
とボソっと言ってみましょう。
これは「気楽に生きよう」と安易な励ましをしているわけではありません。
ため息混じりに言ってみてください。
真面目に生きている故、あなたの心はきっとパンパンに膨らんで息苦しい状況かもしれません。
そこで、ため息をつき「まあ、いいか」と言うことで少しガス抜きができます。
適当に生きていける人から「適当に生きなよ」と言われてもなかなか納得いきませんよね。
もちろん、励ましの気持ちで言ってくれているのでしょう。
しかし、それはあなたが真面目さから抱えているものを想像したことがないから簡単に言えてしまうに過ぎません。
だから、ゆるく「真面目」に生きていきましょう。
無論、仕事などで他の人より任せられる仕事が多い等、明らかに「利用されている」状況であれば何らかの解決は必要かもしれません。
そうでないと、真面目なあなたの大事な命が無意味に削られてしまうからです。
しかしそこまで大事ではない時、日常的に真面目に考えすぎてしまった場合はつぶやいてみてください。
「まあ、いっか」
と。