ありのまま生きている人が羨ましい
「本当の自分は、どんな自分なんだろう?」
このようなことを、一度でも考えたことはあるでしょうか。
「本当の自分」を言い換えると「ありのままの自分」となります。
「ありのままの自分で生きているなぁ」と思う人は、イメージをしてみると
・性格に裏表なく周りに接している人
・思ったことを自由に口にできる人
・やりたいことをやりたいように生きている人
・明るく毎日元気に生きている人
をイメージするのではないでしょうか?
見下されることに悩む人は、上のようなことが許されてきませんでした。
少しでも自己主張しようものなら、強く否定されてきたからです。
「ありのまま」の自分でいることができれば…。
そんな思いと、それを実行できない悔しさを抱えて生きているのです。
「ありのまま」は良い言葉とは限らない
「ありのまま」というと基本的にポジティブな意味で使われますよね。
しかし結論から言いますと、世間で賞賛されている「ありのままの自分でいよう!」の「ありのまま」というのは
あくまで社会が認めた範疇のもの
です。
よくアニメやドラマで、自分らしさを抑えて生きていた登場人物が、事件や出会いをきっかけに
「ありのままの自分が一番だ!」
という真実に気づくようなシーンがあります。
現実でも
「ありのままの自分を生きよう!」
という歌や自己啓発もたくさん見られます。
しかし、見下されることに悩む人はこの言葉に苦しんでしまうのです。
なぜなら、ありのままの自分が良いとは到底思えないから。
色んな人に見下され、否定され、様々なコンプレックスや劣等感を持っている。
「ありのままでいい」と世間は言う一方、周りはあなたの「ありのまま」を認めていないわけです。
それは結局、許容される「ありのままでいい」という値の範囲は世間によって設定されているからです。
ドラマや漫画で「ありのままの自分の大切さ」に気付く登場人物は、他のシーンでは嫌味にならない人物になっていますよね。
もし一時的に嫌味になっていても、過去にそうならざるを得なかった事情が語られます。
これは出来るだけ多くの視聴者から文句が出ないようなキャラクター設計になっているからでしょう。
しかし、もしその「ありのまま」が視聴者(世間)から文句が出るような性格だったら?
しかし、もしその「ありのまま」が凶暴な自分だったら?
もし、その「ありのまま」が集団を壊してしまう自分だったら?
もし、その「ありのまま」が周りに馬鹿にされるような自分だったら?
もし、その「ありのまま」がただただ相手に不快な思いをさせるものでしかなかったら…?
もし、それらの「ありのまま」が並大抵の努力では直らないものだったら…?
「ありのまま」の自分に悩む人ほど、この社会を覆う価値観の矛盾に苦しんでしまうのです。
悩みながら「ありのまま」を抱えていこう
ドラマや漫画では
「ありのままでいいんだよ」
という事実に登場人物が気づいた時
「そうか、ありのままに生きていいんだ!」
と綺麗さっぱり解決、スッキリしたような雰囲気で物語の幕を閉じることが多いです。
しかし現実では、そうはいきません。
例え一時的にスッキリしても、「ありのまま」で結局相手に迷惑をかけてしまいます。
そして自己嫌悪に陥り「ありのまま」の自分に悩んでしまう…。
しかし、それはそれで良いのです。
それはあなたが、なによりも誠実で真面目である証拠だからです。
相手に迷惑かけてしまった後「ありのままの自分でいいんだ」と綺麗さっぱり開き直るのは少し自分勝手ですよね(苦笑)
それよりも「やってしまった…」と悩んでいる人の方が自分のことを客観的に見ることのできる誠実な方なのだと思います。
何より大切なのは、そんな自己嫌悪しないような環境を作っていくことではないでしょうか。
もし自分の本質が、どうしても他人に不快な思いをさせてしまうのなら。
どうしても社会からズレてしまっているのなら。
静かに悩みながら生きていきましょう。
そんな誠実なところも、あなたの「ありのまま」なのだと私は思います。