子供扱いされてしまうのはなぜ?
子供扱いをされることに悩んでいる人がいます。
もう良い年になるのに、お店の人に「ぼく」と言われてしまう。
つい「○○かな?」と子供と話すように聞かれてしまったり。
同い年の人間ですらそのような扱いを受ける。
酷いと年下からも子供扱いされる。
一方で同年代を見渡せば、皆大人な扱いを受けている。
自分だって充分良い年なのに…。
そう思うことは少なくありません。
子供扱いに悩む2つのパターン
子供扱いされることに悩む人には2種類あります。それは
・容姿が幼いため子供扱いされる
・性格が幼いため子供扱いされる
この2つの悩みは表面上は同じ悩みでも、中身は全く違うのです。
もちろん、この2つの性質を両方持っている人もいます。
しかし、それぞれ対処法が異なっていきます。
1つ目の「容姿で子供扱いされてしまう」パターンは、年齢に対し身長が低かったり童顔であるという理由がほとんどです。
こちらの場合は、髪型や服装を大人っぽいものにすることである程度の対策ができます。
今回主にお話しするのは2つ目の「性格が幼い」パターン。
これは容姿で子ども扱いされる場合に比べ、なかなか理解されにくい悩みなのです。
なぜ子供扱いされるのか?
その原因には主に以下の3つがあります。
・振る舞いや感性が幼い
・感情的になりやすい
・知識が少ない
1つずつ説明していきます。
・振る舞いや感性が幼い
感性が年相応なものではない性質をさします。
例えば趣味や好きなものが「子供っぽい」と言われるものである場合です。
振る舞いというのは、話し方や無意識にしてしまう挙動などをさします。
語彙が他の人に比べ明らかに少ない話し方をしてしまう人もこれにあたります。
・感情的になりやすい
すぐ感情を外に出してしまう人のことです。
どうしてもすぐ過剰に怒ってしまう。
どうしてもすぐ泣いてしまう。
何かあるとすぐヒステリックになってしまう。
これは、本人も悪意をもってやっているわけではなく、悩んでいる人も多いのです。
・知識が少ない
例えば、あまりにも政治やこの世の仕組みについて全く知らないような場合です。
更にもう1つパターンがあります。
知識はあっても、興味の偏りが非常に大きく常識的なことを知らない場合です。
好きな漫画のキャラクターの名前を全部暗記して言える一方、誰もが知っている芸能人の名前や全く知らない人などもこのパターンに当てはまります。
今あげた3つのパターンは、その性質そのものが悪いという訳ではありません。
しかし、他人から子供扱いされてしまうという悩みは上の3つのいずれかに該当していることが多いのです。
子供かどうかは「多数派」によって決まる
一昔前、日本では「オタク」ということがバレると冷たい目で見られていたそうです。
しかし今では自ら「オタク」であることを公言する人が増え、ゲームやアニメはメジャーな娯楽になりました。
それは今の20代の多くが、ゲームやアニメに囲まれ続けて育ったことが一因なのかもしれません。
これを書いている私も同じ年代ですが、周りを見渡していても「今期のアニメ何見てる?」といった話題が当然のように飛び交います。
私もアニメやゲームが好きなので、良い時代に生まれてきたなぁと思いました。
そんな私が好きなアニメは、未就学児から小学校低学年をターゲットとしたアニメです。
確かに子供が理解しやすいお話になっていますが、脚本や演出はもちろん、製作の裏話を聞いていると手抜きではなく真剣に作られていることが分かります。
そして真剣に作られたお話はとても面白いのです。
そんな好きな「子供向け作品」の話を周りにすると…
みんな鼻で笑うか苦笑いします(苦笑)
そして最後は「変わった人」として子供扱いされてしまいます。
とどのつまり、結局ゲームやアニメもそれを楽しむ層が「多数派」となったから受け入れられたに過ぎません。
これは「多数派」そのものを否定しているわけではありません。
切り口を変えれば誰だって「多数派」。
そして、この世界はどうしても「少数派」が肩身の狭い思いをしてしまう仕組みです。
先ほど話したように「オタク」ということがバレるだけで冷たい目で見られる時代もあった。
それはまだまだ小さい規模で、世界全体を見てみれば、少数民族と呼ばれる人たちが今でも各地で差別を受けています。
学校や職場でのいじめは未だになくなりません。
このことから、その人が「子供」か「大人」かというのは結局「多数派」の目によっていくらでも変わってしまうのです。
「子供」な自分を生きるには?
「子供扱いされる」悩みに対し、世間ではよく
「大人な趣味を持とう!」
「カッコよく見えるコーデはこんな感じ!」
というアドバイスをされることが多いです。
確かに出来る余裕があるのであれば、身なりをそれなりに整えることは大切です。
そして先ほど例に挙げた政治やこの世の仕組みというのは、知っておいた方がよいでしょう。
しかし、生まれつき備わった「感性」を無理に変えてあなた自身は納得するのでしょうか?
時代や場所によっていくらでも変わる「多数派」の目はそんなにも高尚なものでしょうか?
結局のところ「子供扱いされたくない」という悩みは
最終的に
「どこまで世間に馴染みたいのか?」
という問題になるのです。
ここで、それに「自分を捨ててでも世間に価値観を合わせるべき」と答えられる人はそれで良いと思います。
それも大事な1つの決断です。
しかし、どうしてもどこか譲れない気持ち、モヤモヤする気持ちが湧くのであれば。
それは自分の「本質」に沿って生きることのできるチャンスかもしれません。
次回はそんな、人間の「本質」についてお話します。